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第二次世界大戦前は労働力がむしろ余剰しており

第二次世界大戦前は労働力がむしろ余剰しており、移民の形をとって労働力を放出していた。戦後しばらくも過剰状態にあった。
高度経済成長期には一時労働力不足が懸念されたが、団塊の世代からなる若年労働者が豊富で、集団就職などによって弾力的な分配が行なわれたために、労働力問題は解決された。

しかし1980年代には人口構造が変化し、また若者の高学歴化が見られる中でバブル景気を迎えた。このころには社会の「成熟化」が進み、単純労働が「きつい・汚い・危険」(いわゆる「3K」)などとして敬遠されるようになった。このため深刻な労働者不足に見舞われた。

一方で東南アジアや南アジアにおいては1970年代頃には他国への出稼ぎが構造化していたが、中東でオイルマネーによる好景気が終わりを迎え、出稼ぎ労働者たちは行き場を失った。そのような中で日本の好景気が注目されたのである。
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1980年代初めにはすでに韓国・フィリピンを中心としたアジアの女性が興行ビザの名目で飲食業を中心として日本に流入していた。バブル期には南米の日系人、次いでパキスタンやバングラデシュ、さらにはイランなど中近東から労働者が続々とやってきた。日本は単純労働者の受け入れを認めていないが、彼らの多くは観光ビザや学生ビザ、研修ビザで来日し、不法就労の形で建設業や製造業に携わった。

流入が急増するなか、受け入れ是非をめぐって「開国・鎖国論争」が激しく行なわれるようになった。政府は「専門的・技術的分野の外国人は受け入れ、単純労働者は制限する」という方針を採って法整備を進めていったが、違法就労の黙認という形で受け入れてきた。

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2009年12月07日 15:06に投稿されたエントリーのページです。

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